2025.02.19
アンティオコス三世?

ここ最近の一般絵画教室では石膏デッサンが大人気ため、
3月からは石膏2セット+静物2セットにすることにしました。
そこで今回の石膏像はモリエールとアンティオコス三世。
ところで『アンティオコス三世』って誰??
それは私が受験生の頃にシーザーと呼んでいた彼のこと。
30年位前までは、原作が収蔵されているルーブル美術館のあるフランスでも、日本の美大受験生の間でも「シーザー」と呼ばれていましたが、考古学的な答えが出ずにいたその像は、「アンティオコス三世」と結論付きました。
シーザーといえば「ブルータス、お前もか⁉」で多くの人が知っている有名人。
これはシェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』の中でシーザーが暗殺された際に使われたセリフなのですが、この言葉「ブルータス、お前もか⁉(ラテン語: Et tu, Brute?)」は、イタリアだと信頼していた者の裏切りを表現する格言として使われるそうです。
今の今までシーザーだと信じていた身にしては、まさに裏切られた気分。
「シーザー、お前もか⁉」
さて、アンティオコス三世が活躍していたのは紀元前320年頃。
マケドニア王国のアレキサンダー大王の東征の一員として参加していたセレウコス一世はアレキサンダーの死後の領土争いのあと、現在のトルコ~シリア~イラン~イラクに相当する地域を支配してセレウコス朝シリアを確立していました。
その後衰退していくセレウコス朝を更にインドの一部にまで領土を拡大して隆盛に導き、『大王』と呼ばれるようになっていたのが、アンティオコス3世。
そんな大王様の彫刻が作られたのは紀元前3世紀末とされており、後に発掘されたのは頭部だけ(写真①)でした。ということは石膏像に見られる衣服をまとった胸像(写真②)は後世に補足したものとなりますが、後で適当にくっつけた系の彫刻は意外とあって、日本だと奈良県にある秋篠寺の「伎芸天」(写真③)もまたそのうちの一つです。
頭部は奈良時代の乾漆造、体部は鎌倉時代の木造とされるこの像は、後付けのために出来てしまった歪みが偶然にも曲線的で摩訶不思議な美しさとなり「芸術の神様」と慕われている一方、『大王様』にしてはちょっと貧弱なアンティオコス3世の像でもあります。
でも、良い作品をつくるには、”思い込み”が大切。
国の王様としての風格ある雰囲気をイメージしてデッサンしてみましょう☆彡
3月からは石膏2セット+静物2セットにすることにしました。
そこで今回の石膏像はモリエールとアンティオコス三世。
ところで『アンティオコス三世』って誰??
それは私が受験生の頃にシーザーと呼んでいた彼のこと。
30年位前までは、原作が収蔵されているルーブル美術館のあるフランスでも、日本の美大受験生の間でも「シーザー」と呼ばれていましたが、考古学的な答えが出ずにいたその像は、「アンティオコス三世」と結論付きました。
シーザーといえば「ブルータス、お前もか⁉」で多くの人が知っている有名人。
これはシェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』の中でシーザーが暗殺された際に使われたセリフなのですが、この言葉「ブルータス、お前もか⁉(ラテン語: Et tu, Brute?)」は、イタリアだと信頼していた者の裏切りを表現する格言として使われるそうです。
今の今までシーザーだと信じていた身にしては、まさに裏切られた気分。
「シーザー、お前もか⁉」
さて、アンティオコス三世が活躍していたのは紀元前320年頃。
マケドニア王国のアレキサンダー大王の東征の一員として参加していたセレウコス一世はアレキサンダーの死後の領土争いのあと、現在のトルコ~シリア~イラン~イラクに相当する地域を支配してセレウコス朝シリアを確立していました。
その後衰退していくセレウコス朝を更にインドの一部にまで領土を拡大して隆盛に導き、『大王』と呼ばれるようになっていたのが、アンティオコス3世。
そんな大王様の彫刻が作られたのは紀元前3世紀末とされており、後に発掘されたのは頭部だけ(写真①)でした。ということは石膏像に見られる衣服をまとった胸像(写真②)は後世に補足したものとなりますが、後で適当にくっつけた系の彫刻は意外とあって、日本だと奈良県にある秋篠寺の「伎芸天」(写真③)もまたそのうちの一つです。
頭部は奈良時代の乾漆造、体部は鎌倉時代の木造とされるこの像は、後付けのために出来てしまった歪みが偶然にも曲線的で摩訶不思議な美しさとなり「芸術の神様」と慕われている一方、『大王様』にしてはちょっと貧弱なアンティオコス3世の像でもあります。
でも、良い作品をつくるには、”思い込み”が大切。
国の王様としての風格ある雰囲気をイメージしてデッサンしてみましょう☆彡